スノーボーダー、マイク・バシッチの誕生 – 241 X SBN Vol.2 –

カリフォルニア州サクラメントで生まれ育ち、幼い頃からウッドワーク(木材を使った工作)が机に向かう勉強よりも好きだったマイク。だが1981年、彼に神経疾病のひとつである“てんかん”という大きなチャレンジが立ちはだかった。「他の子供と違ってもいいんだよ」とマイクに伝え続けた両親が与えた特効薬、それがスノーボードだった。ガイドラインもインストラクターも無い、ただ自分の想像力と感性をたよりにスノーボーディングを自分のやり方で学んでいった。彼は言う「あの頃、自分自身に教え込むしかなかった。多分それが今のベースとなっていて、自分のアイディアを自分で育てる事に繋がっているんだろうね」と。1985年、マイクが始めてソーダスプリングスを滑った年。そこから彼のスノーボード人生は走り出した。いや、むしろ急発進だ。1986年になると彼のホームマウンテンであるドナースキーランチはスノーボードを受け入れ、マグネットに引き寄せられるかの様に集結したクリス・ローチやデイブ・シオーネなどがマイクのライディング仲間となった。同年、マイクは初のコンテストに出場し1989年にはジュニアチャンピオン、そしてワールドカップへの招待。マイクの人生はスノーボードを中心に動き始め、それは学校の勉強ではなくスノーボーディングが教えてくれる世界だった。不思議な事に、スノーボーディングは彼の病までも消し去り、彼の心はスノーボードにストラップインされ滑り続けて行く。

90年代に入るとそのスピードは加速していく。1993年のワールドチャンピオン、フーガーブーガーとの契約、日本でも大ヒットになった1994年発表のプロモデル、アラスカでのファーストディセント、コンテストでもフリーライディングでもスポットライトを浴びる様になっていった。

そんな中、彼のクロージングブランドである241は誕生した。スノーボードで世界中を旅しながら高校卒業の認定を得たマイクは自宅の裏庭にスクリーンプリントマシーンを手に入れ、241の起源はT−シャツをプリントした所から始まった。この“241”という3文字については今後のエピソードで触れるとしよう。

Edit by Kato Kenji