渡邉健太郎インタビュー
若くしてプロスノーボーダーを目指したり、スノーボーダーとして注目されたい、そんな思いでスノーボーディングが上手くなる為に頑張っている人も多いはず。そしてその反面、「プロスノーボーダーになれなかったら?」「プロスノーボーダーになったとして、いつまでその仕事ができるのだろう」と漠然に不安を覚える事もあるかもしれない。
プロスノーボーダーを目指す事、夢を追いかける事はとてもいい事だと思う。しかし本当に大事なのは「その事だけ」なのだろうか?
もしプロになれなかったらスノーボーディングを楽しむ事はできないのだろうか?
渡邉健太郎。18年前に海外へ行き、海外のスキー場のコーチとして働きながらプロになったスノーボーダー。彼は一線を退いた後、試行錯誤しながら今は静岡県で薪ストーブを販売する会社を運営している。
プロスノーボーダーに区切りをつけ、自分の人生の一部分としてじっくりとスノーボードと向き合いながら、別の仕事をする渡邉健太郎にとってのSnowboarding, Lifestyleとは?
①健太郎さんのプロスノーボーダー時の経歴や動きを教えて下さい
まずはスノーボード雑誌スノーイングで1年間アルバイトをした後に、1993年にワーキングホリデイビザを利用して最初のニュージーランドに行きました。その時、たまたま英会話の先生がニュージーランド人で弟のマシューがエッジウォーターリゾートで働いていたのでその関係で南島のワナカに行きました。
1996年からWanakaにあるMo-deanというショップのオーナーのピーターとリズの家にホームステイしながら、Cardronaというスキー場で滑っていました。
また、その年に日本で初めてのスノーボードパトロール(岩原)としてNHKに取り上げられ、1996年ファインカップ(プロ戦6位)にてプロスノーボーダーになりました。1997年からはカドローナのハーフパイプコーチとして働きだし、ニュージーランドで当時一番大きな大会、New Zealand Nationalsで優勝し、そして2002年春、当時28歳でプロスノーボーダーを引退しました。
②プロスノーボーダーとして一線を引く事を決定した出来事はありますか?
1997年のソニープレイステーションNIPPON OPENビックエアーで鎖骨解放骨折により最前戦を退いたときですね。
③一線を引いた後、スノーボードとどう向き合おうと思いましたか?
スノーボードをしている間はお金も仕事も時間も作れたので、仕事と割り切って、ニュージーランドでは観光、輸出、輸入、英会話力、日本ではスノーボードスクールでお金をためてオーストラリアやアメリカに勉強、観光のために費やすことにしました。
④今、会社を経営しながら、息子さんと一緒にスノーボードをしていますが、健太郎さんにとってSnowboardingとはどのようなものでしょうか?
スノーボードが僕のすべてのキャリアだと思っています。28歳で現役を引退してからの38歳までの10年間はほとんどスノーボードをしませんでした。
しかし子供が6歳になった時に引っ込み思案の息子になにか特技を身につけさせて自信を持たせたいという気持ちからスノーボードを教えた所、スノーボードの魅力に僕の方がどっぷり浸かり、ここ最近の滑走日数は40日を大きく超えています(笑)
僕にとってのスノーボードはめまぐるしく動いていた現役時代をもう一度ひも解いて噛みしめながら歩いていく、そういうものに変わってきていると思います。
ビジネスとスノーボードには共通点がいくつかあります。出来ないことをどうやってできるか考えること、克服すること復習すること習慣づけること、自分は何が得意で何が苦手なのかを考えて優先順位をつけていいところを伸ばすこと、等です。
開業するという感覚は異様なサイズの ワールドシリーズのキッカーに死んでしまうかもしれないけど突っ込むこと、成功した時の高揚に夢を見て投げ捨てる命に似ていると思います。
そうやって何度も捨てた命に比べれば開業の命がけは実際は命に取られたりしません。誰よりもかっこいい人生でいたいと思う気持ちは、本当はスノーボードをしてる時と根源から湧き出ている原動力は一緒なんだと思います。
僕はよく商売で悩んだときにスノーボードに置き換えて考えます。どうやったら皆より成功するのか、その答えはいつもただ単純に楽しんでハーフパイプを歩いた距離だと思います。そういう経験を子供に伝えたいというのが、僕の本当のスノーボードを教える理由だと思います。
子供にはスノーボードを楽しんでほしいと思ってます。18歳を超えたら海外で生活して欲しい、世界中のいろいろな人たちの考えを吸収したりするのにスノーボードという媒介はものすごく適していて、それを教えられる環境にいるということが すでに幸運の兆しだと考えています。
プロになったり大会に出場して活躍する必要はないんです。当然そのほうが本人も楽しいでしょうし、それに越したことはないんですが、異文化を自分の中に存在させる事がこれからの時代を生きるのには必要になってくると思います。それは精神的にも経済的にもです。だから僕や僕の家族にとってのスノーボードは人生のすべてだと思っています。
⑥ 仕事を持ちながらもバランスを取りながらSnowboardingを楽しみたい思っている人へアドバイスはありますか?
まずは自分が楽しめるまでの根気のいる環境づくりですね。両親がスノーボードをする場合には問題ないと思いますが、どちらか一方しかしない場合はソフトの充実に努める必要があります。温泉や食事や少し贅沢な宿泊、この辺を暖めておいて、休みの日にスノーボードに出かける日が一番楽しいと思ってもらうことです。
それから子供が嫌いになったら元も子もないので、目標を定めて到達するとご褒美という作戦で上達する喜びだけを与えます。実際には温かいココアとか助手席に座れるとかそんなたわいもないもので十分だと思います。
仕事に関してはとりあえず怪我をしないことだと思います。選手の時のような研ぎ澄まされた感覚はもう纏っていないので転ばない程度の挑戦でやめておくことが重要だと思います。
思わず若いライダーの子達を前にすると負けず嫌いな性格なのでガッツリ行きそうになりますが、今僕がロデオ900を繰り出したところでゲインどころかリスクが大きすぎます(笑
なのでB360とかB180で渋さを追求してる感じで十分だと思った方がいいと思います。
⑦最後に
日本全国どこでもお伺いしますのでハース+ハースで薪ストーブを買ってください(笑
それから僕のスノーボードを今もサポートしていただいているマツモトワックスの松本社長 プロショップベルズの奥村社長ありがとうございます!
最後に、子供にスノーボードを教える事で感動できた、現在までの5つのポイントを記しておきます。
・一緒にリフトに乗ったとき
・ターンができるようになったとき
・追い越そうと必死で後ろをついてくるとき
・後ろから見たらターンが自分に似てると気づいたとき
・昔ベースとしていたスキー場(僕の場合はCardrona)のレストハウスに二人で入った時
確かに思う。スノーボードの楽しみ方、向き合い方は人それぞれであり、何かのきっかけで始めて好きになったスノーボードをどれだけ人生の一部として続けられるかが大事だ、という事を。そして自分自身がスノーボードを続けて、いつか子供にスノーボードをしながら色んな経験をしてもらう事の素晴しさも。
それと同様にスノーボードの歴史がこれからも刻まれ続け、雪の上を滑る事の楽しみを味わってくれる人々が増え、Lifestyleの楽しさの一つとしてのスノーボードがより定着していくことをSBNは追求していきたい、と感じたインタビューだった。
渡邉健太郎の薪ストーブのある暮らしを提案するHearth+hearthはこちらから
Movieはこちらから hearthhearthfilm
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