FREERUN “THE PROLOGUE”_episode-2
FREERUNがスタートしたのは1999年、それまでの専門誌でやってきた仕事の壁を越えるべく、新しい雑誌をつくろうと集まった仲間。道は思ったよりも遥かに険しかったけれど、ライバル雑誌がひとつひとつ姿を消す中、今もまだFREERUNは止まらない。17年という時を経て今も変わらないFREERUNのコア。大したものじゃないけれど、創刊当時の話を少しだけ紹介しよう。2部構成の後編は「日本人ライダー×外国人ライダーの対談〜あの定番企画の誕生」について。問いに答えるのは初代編集長の杉浦隆行である。
Q. CROSS TALKで西田崇×デバン・ウォルシュの対談についても聞かせてください。
日本人と外国人のトップライダー同士で対談したらどんな展開になるのかと思い、企画したのがこのCROSS TALK。スノーボードのことはもちろん、地元の雪山やスキー場のこと、プライベートのことまで幅広く語ってもらいました。当時、人気の高い技巧派ライダーの西田 崇に気になる選手を確認したところビデオスターだったデバン・ウォルシュの名があがりました。彼とは数年前にカナダで知り合い、スケートをした間柄、とのこと。さっそくデバンをマネージメントしていた人物に連絡を取り、対談の企画主旨を説明し、承諾してもらいました。対談場所はスノーボードの合同展示会を開催していたSBJ内の一部屋を借りて、それぞれに通訳をつけおこなわれました。インタビューアーが日本語で質問して、それを通訳が英訳してデバンへと伝える。デバンの答えた内容を今度は和訳して西田 崇へと伝える。この繰り返しで、初の試みとなった日本人と外国人の対談は、予定していた以上の取材時間がかってしまったことを覚えています。でも、これが面白い展開になったので、このCROSS TALKは人気企画のひとつとして継続していきました。
Q.「Last 23 Question」の前身、「Last 22 Question」誕生について教えてください。
子供が何人かで「好きなフルーツは?」「好きな動物は?」「好きな昆虫は?」といった感じに言葉遊びをしている時に、ふと思いついたのが、この「Last 22 Question」です。日本人、外国人、女性ライダーと人選し、同じ内容の質問を5人に問いかけ、それぞれのライダーがどのような答えをするか比べてみる企画です。創刊号から最新号まで企画趣旨は変わることなく、130冊以上の巻末に掲載されているFreerunの名物企画となりました。ちなみに「Last 22 Question」から「Last 23 Question」とタイトルが変わったのは、私から次の編集長に変わる時に「ひとつ質問を増やそう!」みたいな軽いノリだったと思います。
Q.創刊号の表紙に込めた思いを教えてください。
横位置の写真を縦に使用し、中央のライダーのまわりだけは表紙を保護するためのニス剤をあえて(丸く)塗ることをしませんでした。創刊号を横にしてもえると、その丸くニス剤を塗られていない部分が、日の丸に見える感じです。日本から世界へ羽ばたくスノーボード雑誌になる、という決意を込めてアートディレクターのetsuさんのアイディアでこの表紙は出来あがりました。
Q.いちばん印象に残っている写真を教えてください。
P8からP9の見開きで掲載している、アメリカ・カリフォルニア・スノーサミットのレイルで撮影した橋本貴興の写真です。写真でもわかる通り手前に「FREERUN」の文字を雪面に立たせて撮影してあります。台割りを作る際、Freerunの最初ページの見開きは、こんな写真のようなレイルの横に「FREERUN」の文字を立てて撮影した絵柄を掲載したいと考えていました。今とは違ってデジタルカメラではなかったのですぐに写真を確認することが出来ず、東京に帰ってきてフィルムを現像してはじめてどんな写真に出来あがっているかの不安のなかで、このクオリティの仕上がりだったので、とてもうれしかったのを覚えています。ちなみに、表紙が裏山での飛び写真(平岡暁史/アメリカ・ユタBC)。最初の見開き写真にはこのレイルの写真(橋本貴興/アメリカ・カリフォルニア・スノーサミット)。そして3枚目はパウダー写真(ジェレミー・ジョーンズ/アラスカ)と、今後のFreerunの写真の方向性を示せればと思い、とくにインパクトのある3枚を選んで順に掲載しています。
Q.最後に創刊号という大仕事を終えた感想を聞かせてください。
わずか2ヵ月ほどの制作時間しかなく、また今のような通信システム(インターネットやメール、コンピューターの能力など。創刊号の発売は約17年前)の環境が整っている時代ではなく、すべて自分たちで動かなければならなずでとてつもない時間を要しました。寝る暇もなく身体的にもきつかったのですが、Freerunを世に発表してスノーボード界を盛り上げる、という強い信念とともにスタッフのみんなと完成することが出来たと思っています。雑誌が出来上がり、書店に創刊号が並んだ時は嬉しかったんですけど、後日誌面を読み返してみると「もっとこうすれば良かった」「この書き方が良かった」と反省ばかり。でも、すべての作業が終了した後、この創刊号で携わったスタッフ全員で新潟県の今はなきARAIスキー場へと滑りに行ったんです。そこでちょっとみんなでハイクして山頂から滑ったパウダーの1本が今でも忘れられません。ありがとうございました。
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