DIGGIN’ MAGAZINE Die Goインタビュー

DIGGIN’ MAGAZINE Die Goインタビュー

Die Go

2013年の10月に創刊号を発刊したDIGGIN’ MAGAZINE 編集長である。

紙とWebという発信元は違えど、同じスノーボーディングのメディアとして雪山へ出向くと、日本のスノーボーディングのシーンに欠かせないフィールドやライダーのいる場所で彼を見かける事がよくある。

先シーズン、会った時に話をすると、彼の言葉には「裏」にメッセージがあるように感じた事が何回かあった。

そのメッセージは本人は意識してはいないかもしれないが、自分が何をやらなければいけないのか、進む先が決まっているからこそなのか?と感じていた。

その彼がDIGGIN’ MAGAZINEを発刊するという話を聞いた時に、どのような雑誌になるかというのはわかっていたが、なぜ発刊しようと思ったのか非常に興味を持っていたし、彼なら明確な理由があるから「今」動いたのだろうと感じていた。

DIGGIN’ MAGAZINEの評判は様々な場所から聞く事ができるが、本人がどのように感じて、どのように決断して動いたのか、今回のインタビューで直接聞く事ができた。DIGGIN’ MAGAZINE創刊号のイメージカットと共にどうぞ。

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Congrats Die Go. Your Mag is second to none with this genre.

 

①DIGGIN’ MAGAZINEの産まれた経緯を教えて下さい

 

スノーボードが誕生して40年ほど。日本におけるスノーボードのバブルっていうのは90年代に入ってからで、サーフィンやスケートボードに夢中だったキッズや、現状に退屈してたアクティブな人間たちが、型破りな雪上の遊びに熱を上げたことがキッカケです。とにかく新鮮だった。

その結果急激にスノーボード人口が増えたんですが、現在その世代が簡単に言えば40代にさしかかる「おっさん」になっている訳ですよ。

もう20年近くスノーボードを続けていると、遊ぶフィールドも当然変わっていて、パウダーや自然地形を求めてどんどん野性的な行動パターンなっているケースが少なくありません。俗に言うバックカントリーやサイドカントリーというフィールドへの意識の高まりですね。

実際ハイシーズンの週末に、野沢のゴンドラやかぐらのロープウェイ、白馬コルチナでOPEN前に100人近い人が並んでいる現実がそれを物語っているのだと思います。

この「成熟してきたスノーボーダーたちの遊ぶフィールドの変化」というのがDIGGIN’ MAGAZINEを創刊するに至った一番の経緯で、自然の中でクリエイトするスノーボーディングの世界観をカタチにしたかったんです。

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もうひとつは、この世代が既存のスノーボード雑誌から得られるモノが非常に少なくなってきた、という現実です。

それは単純に時代の流れであって、いつの時代でも、スノーボードに限らず起こることだと思いますが、20代の頃はスノーボード雑誌を買いまくって家にキープしていたのに、「じゃあ今読みまくれるか?」というと興味を持つ記事がそこまで無く、もっと言えばそのスノーボードメディアを作っている人達より余程スノーボードの事を知っている人達も多くなってきたのではないかと。

これは悲観的なことじゃなく、良い意味で日本のスノーボードが歴史を刻んできたからこその結果だと思っています。90年代にスノーボードを始めた現おっさんスノーボーダーは、あの頃と変わらない情熱と好奇心を未だに持ち続け、自身のスノーボードをアップデートしています。知りたいもの、読みたいものの興味が変わるのは当然ですよね。

そうした背景を長い間スノーボードメディアに関わりながら見つめ続け、タイミングを探っていました。で、「そろそろだな」と。今年の10月に創刊した次第です。

ちなみにDIGGIN’ MAGAZINEが一番大切にしているのは写真。なぜならスノーボーダーが紙媒体に一番求めるものは、写真だと思うからです。

そしてストーリー。情報は今の時代何処にでもありますからね、「どこで誰が何をやったか」ではなく「どうしてそうなったか。その背景や当事者の感情」に迫るストーリーが知りたいはずです。だからDIGGIN’ MAGAZINEは「スノーボードフォトジャーナル」なのかなと思っています。

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②創刊号のテーマは「SNOW SURF」という内容でかなり深い所迄読む事ができますが、この内容を創刊号で出すきっかけというものはありましたか?

 

きっかけは色んな要素がありました。まず一つにスノーボーディングのルーツがサーフィンであること。スケートボーディングから来たスノーボーディングもありますが、それは90年代に起こったニュースクールでした。

正直DIGGIN’ MAGAZINEを作っている自分は90年代からスノーボードを始めているから、完全に「ロードキル」を観て育った世代です。だから自分の中にルーツとして「SNOW SURF」という言葉は全く無いし、今でもありません。

でもスノーボーディングという歴史を真剣に考察すると、日本初のボードは70年代前半にMossが作ったサーフボードの様なものでしたし、もっと言えばアメリカで誕生した頃はスチールエッジじゃなくてフィンがついてたわけで、商業的な観点を外して考えれば、雪上のサーフィンを夢見た人たちの結晶なんですよ。

自分たちはこのスノーボーディングという遊びにどっぷりハマってて、とことん追求して楽しんでいきたいからこそ、今一度ルーツを知る必要があるし、立ち返る必要があると思っていました。

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また、GENTEMSTICK、Moss snowstick、TJ Brandをはじめ、「スノーサーフィン」というキーワードを核に持つブランドへの注目は、日本だけに限らず世界規模で高まっています。なぜ今またこんなに注目されているんだろう。

「自分はスノーボーダーだし、スノーボーディングしかしていないし、スノーサーフィンって一体何なんだ?」という純粋な疑問があってこそ、このテーマに踏み込めた訳です。実際、深すぎましたけど(笑

そしてもう一つは、このようなスノーボーディング雑誌を作り続けていくと決めた以上、まずは先輩方にリスペクトする所から始めようと。

「素晴しいカルチャーを築きあげてきてくれてありがとうございます、受け継ぎつつも自分たちのスタイルで進化させていきます」という思いもあって、創刊号は「SNOW SURF」という内容にしました。

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③編集長として創刊号を出す迄に、今迄と違う苦労をした事はありますか?

営業ですね(笑

通常、雑誌社は営業部と編集部に分かれてます。編集部は基本的に雑誌を作る事のみで、雑誌に入れる広告としてクライアントからお金を持ってくる作業が営業部という形で役割分担されています。

しかしDIGGIN’ MAGAZINEは創るのも営業も100%自分一人なので、営業はもの凄く苦手ですけどやらざるを得ないというか・・・でも結果的にやってみてよかった事は「作ってる人とお金を出す人が顔を合わせて本気の話し合いをする事こそが未来のメディアのカタチだ」と感じられたことです。

自分は作り手なのでピュアにこういうものを作りたい、それによってスノーボードシーンがどう盛り上がっていくかだけを考えている訳で、そこに「お金を出してくれるクライアントのため」という概念が無いんです。それでもこれだけ「投資」をして下さるメーカーさんがいるということは、同じベクトルでスノーボードシーンの在り方を模索している人が多いとい現れで、それこそ幸せに感じられたことです。だからこそ、自分は「広告」を1冊の本を構成する重要なビジュアル要素と考えて、内容も事前に確認させてもらっています。

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④今後も毎号テーマを決めて発刊していく予定でしょうか?

そうですね。次号はPHOTOGRAPHERS ISSUEです。スノーボードシーンにおいてフォトグラファーという存在は必要不可欠です。

映像という観点から言えば、ビデオグラファーもフィルマーもフォトグラファーと同等だと思いますが、DIGGIN’ MAGAZINEはフォトジャーナルですから。まずはフォトグラファーという事で、6人のフォトグラファーをメインにフィーチャーします。

実は次号の表紙は創刊号より先に決めてあった写真で、これを創刊号に持っていくか?と考えたんですが内容としては次号に合うだろうなという思いでグッと我慢して取っておいたビジュアルです。楽しみにしてて下さい。

DIGGIN’ MAGAZINE 編集長のDie Goとじっくり話しをしてみて、作り手の意識というものを強く感じた時間だった。

ある意味スノーボードユーザーのニーズに全て応えることは難しいかもしれない。しかしスノーボードをライフスタイルの一部として時間と歴史を切り取り、それをどこまでも深く掘り込み、ピュアな一つの作品として届ける役割ができる数少ないMAGAZINEだと感じた。

インタビューを終え、再度じっくりと読み返してみた。

うん。たしかにこのMAGAZINEは自分の大事な空間であるお気に入りのリビングにずっと置いておけるMAGAZINEである。

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Die Go

 

DIGGIN’ MAGAZINE 編集長/フリーランス 編集者・ライター

スノーボード専門誌「SNOWing」(現在は廃刊)の編集スタッフを経てフリーランスに。

以後、フリーマガジン「supeRb」の編集を中心に大半のスノーボード専門誌に編集・ライターとして携わる。

締め切りに追われ、低気圧と寒波を追いかける編集人生も15年に及び、現在は永久的な横乗生活様式を追究する日々。

東の夜空にオリオン座が見えるとソワソワする習性あり。

 

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