西郡信喜 インタビュー

西郡信喜、通称ノブリン。十数年前、プロスノーボーダーとして新潟と広島で活動をしていた彼は、第一線から退いてスノーボードメインの人生にピリオドを打った。

それから風の噂で実家で働いている、そのような話を聞いていたが、ある時コンビニエンスストアで買い物をし、そこで唐揚げを頼んだときに、ふとネーミングに引っかかった。「中津市の”ぶんごや”?」
名前は様々な所から聞いていたが、ぶんごや監修でコンビニエンスストアで全国展開している事を自分の通常の日常から知り、その時昔の事をフラッシュバックの様に思い出し、そして気になった。
「彼は人格的にも慕われ、彼の滑りはなぜか人を引きつける滑りであったが、今でもスノーボードをしているのだろうか?」と。

彼は今でもスノーボードをしていた。そして昔とは違う形でスノーボード業界にも関わりを持っていることを知り、とても嬉しく思った。
今回は通称ノブリンこと西郡信喜の思いをインタビュー形式にてお送りします。

1)西郡さん(以下ノブリンさん)は以前プロスノーボーダーとして活躍されていましたがどのエリアでどのような活動を行っていましたか?

スノーボードを始めるきっかけはスケートボードからでした。中学高校と一緒にやっていた友人(現在はNOVEMVERの敏腕プロデューサー)の勧めでやってみたんですが、見た目と裏腹に難しくて悔し思いをしたことろ、どっぷりとはまってしまいました。
その後、広島県の専門学校へ進み、いったんアパレル会社に努めていたんですが、当時お世話になっていた先輩・友人・ショップに背中を押して頂き、仕事をやめて上記の長野市に住むへ友人宅へ無理やり転がり込みました(笑)。

山あり谷ありで24歳の時でしょうか、全日本選手権HPで準優勝を獲得しプロへ昇格できました。昇格後は、当時からベースにしていた新潟県上越市を拠点に、ARAIリゾートや関温泉でHPを練習し、終盤には能生町へ拠点を移しシャルマン火打でフリーランばかりやってました。
昇格当時スノーボードは認知はされていても、まだまだメジャーではなかったと思いますし、広島県のスキー場と契約をしていたので、中国地方でスノーボードの楽しさを伝える為に、広島と新潟を行ったり来たりもしてました。

プロとして、当初は大会を中心に活動をしてましたが、プレッシャーに弱かったのでなんせコケまくっていましたし、当時のプロ戦にも魅力が感じられなくなり、次第に撮影で絵を残すことに力をいれておりました。大会で勝てなかったので言い訳です(笑)

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1998年ニュージーランド。左手の甲を骨折してピンクのギブスが思い出

2)プロスノーボーダーとして一線を引き、新たなライフスタイルを選択した理由はなんでしょうか?またその時ノブリンさんはどのような思いをもっていましたか?

僕が引退をしたのは30歳の時です。きっかけは20歳にもみたない若いライダー達の目覚ましい活躍と滑りを目のあたりにしたからです。次世代を担うライダー達が増え、自身の中で世代交代の時期だなと感じてました。

そのことは、今後の自身の方向性を考える事につながり、スノーボードを生業として生きてゆくのか、それともまったく別の分野で生きてゆくのか、苦渋の選択を強いられました事を覚えてます。
なんせ撮影の仕事も頂ける様になり、自分なりに納得のいく絵を残すことも出来ていた時期でもあったので、答えを出せない日々が続きましたが、結果としては自分が一番輝いている絶高期に引退して綺麗に身を引こうと考え、実家の商売を継ぐ事を選んだ訳です。正直、選択したと言えば綺麗ごとですが(笑)、実家に帰ればいいやんっと甘い考えもありましたね。今は良いけど、その先を見据えた時にプロスノーボーダーとしての進むべく道への不安があった事は否めませんし、仕事としてスノーボード業界に身を置く自信がなかったからです。

しかしながら、ニュージェネレーション(言い方古いですw)のライダー達に引導(笑)を渡された事や、散々心配と迷惑とかけた親へ恩返ししなければならないと思った事は事実ですので、引退を決意した後悔はありませんでした。ですが山を背を向け、九州へ車を走らせている時は流石に寂しかったです。

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1997年。広島での撮影の一コマ。初めての撮影でガチガチだった

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スノーボードにのめり込んだ19歳。神様クレイグ・ケリーと

3)本当の「趣味」としてスノーボードをしてみて、新たに今までと違うスノーボーディングを発見しましたか?

引退してからも、年に数回は滑りに行ってましたが、結婚して子供が産まれると時間的な余裕もなくなり、仕事の忙しさもあって次第に山から遠ざかり、ここ4年間はまったく滑りに行ってなかったんです。これが良かったのかもしれません(笑) 流石に、山に行きたい!!スノーボードをしたい!!気持ちが沸々と湧いてきたんです。
そうなると、良い気は良い人間を巡り合わせますよね、SNSを通じて良い出会いや再会があり、沢山の刺激を受け、がむしゃらに滑りたい自分がそこにいました(笑) 昔の様に、山に行かないといけない、滑らないといけないではなく、山に行きたい滑りに行きたいといった初めて間もない頃の気持ちを思い出しました。
ですから、雪が良いとか悪いとか、天気が良いとか悪いとか、その時のそのままの自然と環境を受け止める事ができ、滑る日は僕にとってのTHE DAYだったんです。
かと言って、若い子たちに交じって、僕にはまるで罰ゲームの様なキッカーを飛べますか?飛べません(笑) パークに行って、ボックスやらレールやら擦りますか?擦れません(笑)
パイプでは必死になって遊びましたが(笑)。基本フリーランですよね。でも、今までにない楽しさと気持ちがあっからこそ、有意義なスノーボディングが出来たんです。

よくよく見ると、どんなゲレンデであっても楽しめるポイントは沢山ありますよね。今までの固定概念を腐食させ、自然と環境を素直に受け止め楽しむことが出来たので、行きなれたゲレンデや仲間達であっても全てが新鮮で、まったく違う見え方がしました。
もちろん、選手時代の様なプレッシャーがないからとも言えますが(笑)心から楽しむスノーボディングとその想いが、滑ることの出来る感謝の心と、こんなにも広がる視野、そして新たなご縁・出会いに繋がる事を発見しましたね。

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1994年。初めて山にこもった、懐かしの飯綱リゾートスキー場。当時のユンボパイプ


4)現在どのような仕事を行なっていますか?

父が経営する、精肉店で仕事をしています。創業42年の若い会社ですが、主に大分県産の豊後牛肉・九州産のフレッシュポークと鶏肉など、お肉全般を取り扱い、中津からあげや手作り惣菜なども取り扱ってます。
豊後牛に関しては、市場にて子牛を購入し、自社牧場からお客様への一環体制をとってます。また、真心こめて丹精に育て上げた豊後牛ですので、一昨年にオリジナルブランド豊後牛~花房姫~として、安心安全で美味しいお肉を発信してます。豚肉は鮮度の高い九州産と、鶏肉はその日の朝に食肉処理をされた新鮮な朝びき鶏にこだわってます。

また、からあげブームの最中、からあげグランプリやその他コンテストでの金賞受賞最多を掲げ、全国に展開中の中津からあげ専門店ぶんごやから、幅広く発信させて頂き沢山のお客様に楽しんで頂いております。
最近はよく、からあげ屋さん!っと言われますが、実はお肉屋さんなんですよ(笑)

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現在は精肉店で仕事をし、安心安全で美味しいお肉を発信

5)現在プロスノーボーダーではありませんが、様々なイベント等でスノーボード業界と関わっていますが、なぜ今でも関わり続けているのでしょうか?

スノーボードに受けた恩恵は図りしれません。一流選手ではありませんでしたが、今の僕が在るのはスノーボードお陰です。選手時代の山ほどの反省点を思い返しながら、二度と同じ轍は踏まないよう自身を見直し、前に進む為の原動力になっているからです。また、当時の仲間や新たな仲間に支えられているからこそ、スノーボード業界への恩返しを含め応援をする事が、僕の責務だと考えているからなんです。

私見ですが、景気の低迷・人気の低下・繋がりの希薄化等により、業界は負のスパイラルにはまり、全体的な元気が感じられません。現役のライダー達の眼を疑うような滑りを見てもです。かと言って、昔の様なバブリーが元気と言う意味ではありません。
業界が元気になると言うことは、スノーボーダーが元気になる事が必然ですし、個々の資質向上や意識レベルを変えなければいけません。スノーボードは滑るだけではなく、スノーボードを通じての素晴らしい出会いや再会、取り巻く環境への感謝、失敗や挫折があろうとも沢山の学びを得て、その全てがスノーボードであると言う本質に触れなければならないと思います。

だからこそエンドユーザーが集うイベントへ微力ながら参画し・協賛し、楽しさを倍増させる笑顔と言う付加価値を引き出し、最高な思い出づくりへの一助でありたいと願い関わりを続けています。また、応援するライダーに更なる高みを目指してもらいたいと手厳しいアドバイスもします。
技術はもとより、意識レベルの向上が周囲を巻き込み、スノーボードの本質を広く発信でき、急速に伝搬させることにも繋がるからです。ただ、勢い余ってエゴとして伝えることもありますし、僕の応援は両刃の剣ですので、真剣に応援したいが故に伝え、自分も痛みを覚えます(笑)
ですが、真剣に応援したい思いに変わりはありません。今は僅かな力でも、1人が1cm動かせれば10人いると10cm動かせる(笑)いずれ沢山の仲間をも巻き込み、大きな波となって業界を元気にし、スノーボードの本質が広く伝わる事を願っているからです。

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1997年。パイプの聖地、関温泉にて。春先には、やたらと旨いライダーが終結していた

6)最後に一言

スノーボードに携わる人間は様々、趣味からプロまで幅広いと思います。始めるきっかけはどうあれ、楽しいからこそ続けられるんだと思います。僕は楽しさを伝え応援する世代として、 死ぬまでスノーボーダーで在り続け関わり続けていきます。
若い世代には、日本のスノーボードシーンを築き上げた先駆者を知り、歴史を学び新たな糧を得て、これからのスノーボードシーンを牽引して頂きたいと切に願います。

NO SNOWBOARD NO LIFE!!

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プロフィール

名前:西郡信喜
生年月日:1972年7月24日
出身地:大分県中津市
好きな事:スノーボード・釣り・自転車・スケートボード・ガンダム
嫌いな事:嘘をつかれる事
スポンサー:㈱豊国畜産ぶんごや

 

Interviewed and Edit by
Credit_Kazu