後輩・柳原真央に少しでも関係のあった方々へ

ニュースなどでも報じられていますが、ご存知の方も多いと思います。
柳原真央は12/3(土)の朝方に交通事故で亡くなりました。

アクロスでおこなう毎年恒例のサークルKカップに向かう途中、朝方の瀬戸大橋での出来事でした。

最初こういう場に書くべきものなのかすらも考えられないほど混乱していて、まだ気持ちの落ち着きはあまりできてないのです。

が、お父さんが懸命に関係各者に連絡は取られているので、YONEXやHEAVEN STOREなどの関係はその担当と連絡を取り合って、また担当が近しい人には情報を発信しています。

しかし真央本人の携帯にしか連絡先が載っていない、または連絡先を知らないけれども顔見知りである、そんな人達と連絡を取る手段、余裕がないのが現状です。

もしこのブログを通して少しでもそういった事を
「もっと早く聞いていたかった」
となる人が減るようにしたいと言う了承をお父さんに取り、ブログ記事にさせていただきます。

ご家族は現地の近くに滞在する事を余儀なくされていますので、神奈川に戻るのは何日か経てからの予定です。

さっきも今アメリカにいるHEADの細野大ちゃんからツイッターのDMに、情報を知りたいという連絡をもらいました。
俺自身も内容や詳細、これからの動きなど事細かには聞けてませんが、お父さんとも連絡がつきます。
もし大ちゃんのように他にもそういう方がいるようでしたら

Twitterアカウント
@cvbarai

mixiアカウント(2つあります)
バニボ もしくは バニボ(CVB)

にご連絡ください。

ここからは今の気持ちを書かせていただきます。

真央は俺がプロライダーとして活動し始めてから初めて
「将来はバニボさんみたいになってみたい」
と言ってくれた子です。

また、初めて
「プロスノーボーダーは次代を担う子供に憧れられてこそプロスノーボーダーだ」
と思わせてくれた子です。

当時はまだ小さい小学生でした。
圧倒的に上手な小学生で、将来が本当に楽しみでした。
大会で何度も特別賞を渡す事にもなったし、大人の一般ワンメイク大会に混ざってもBS720などで上位争いを渡り合う子でした。

でも小学生だから何かのきっかけで人生なんてすぐ変わると思って、会えば仲良くするくらいで、技術的な指導などはしてませんでした。
ともかくそれ以降、現在に至るまで定期的に会っている友人でもあり可愛い後輩でした。

しかし小学生のうちにYONEXジュニアチームに入りYONEXのサポートを受けるようになりました。
湯ノ丸スキー場によくいたので、俺と同じ格好をして滑っていて
やたらうまい「小バニボ」とか「ミニバニラボール」
とかいう噂も自分の耳に入ってきていましたので嬉しかったです。

中学時代もジュニアの中では常に上位争いの中にいる子で、高校生になる頃はBROKKORYのサポートも受け、そしてサポートショップは本人がHEAVEN STOREを強く希望していました。

最初は真央も神奈川の住まいだし、埼玉の所沢のショップではコミュミケーションがうまくとれないので俺は前向きには検討していませんでした。(HEAVENのライダーはスタッフの満場一致がないとなれないのです )

でも何年か経ち、気付くと、来れる範囲で色々なところに足を伸ばして会いに来てくれて、お客さんにも可愛がられるようになり、これならやっていけそうとHEAVENファミリーとして迎えさせてもらいました。

真央が小学校の時に言ってくれた言葉のまま、本気で追っかけてきてくれてる事、またそれを行動に示し続けてきていてくれた事を実感しました。めちゃくちゃ嬉しかったです。

「いつか同じ大会とか出れたら面白いよね!」
なんて話も一緒に湯ノ丸滑りながらしていました。
撮影とかもしてみたいと言っていたので、
「相談は受けるよ。でもまずオリンピックを目指したいという自分の芯からはズレるな。」
と答えました。内心来るべきタイミングが来たら一緒に撮影をしてみたいと思ってました。

そんな感じで仲良くさせてもらっていて、そして、ちょうど一週間前の日曜日の夜にヘブンストアで真央に会いました。
そこで、会話しながら
「そういえば真央はいつのまにやら俺とライダーとしての話をするような奴になったんだな」
としみじみしてました。

「次の週末の大会に使える良い板がないからバニボさんに借りっぱなしの板が調子いいんで、借りっ放しで申し訳ないけど、それで出ます!」

と言って週末の大会に備えて彼は家路につきました。

それが最後に会った真央でした。

ホントに明るくて素直な奴で、みんなが愛する奴でした。

一緒に大会に出る事は叶わなくなってしまいました。

俺は真央に
「上手いしキレイな滑りをするけど、攻めてない。もっと勢いを出す事を今シーズンの目標にしなさい。それが身に付けば真央はもっと上に行ける。」
と言っていました。今年のNZを滑っていた動画で練習している内容がそれを明らかに意識している滑りで、攻めていました。
それを大会で見たかった。

でも見れない。
だから俺は、俺があいつに言った分、自分も今年は攻めていこうと決めました。
真央が攻めたかった分まで攻めます。

そして、落ち込みません。

本当は気持ちの整理が付いてないから何もしたく無いけど、そんな俺を真央は目指さない。
真央に目指されている自分であり続けたい。

だから作り笑いとかじゃなくて、ちゃんと心から笑って楽しんで動きまくるプロライダーでこれからもいます。

神奈川に戻ってきた時にちゃんと送り出せるように。
ご家族皆さん、とても大変でしょうが、まずは無事に神奈川に帰ってきて下さい。

そして真央、ご冥福をお祈り申し上げます。