先月2月中旬、日本のガールズスノーボードシーンに欠かせない上田ユキエと水上真里が北海道を共に旅した。ふたりは今から22年前に初めて篭ったゲレンデで出会い、その後お互いスノーボーダーとして22回のシーズンを過ごしてきた。それぞれ怪我に泣いたシーズンもあれば、海外の雪山を一緒に過ごしたシーズンもあった。スノーボーダーとして、お互いのターニングポイントを常に感じてきたふたり。偶然のような必然的なタイミングで今回旅をすることになったのだ。
この企画では、彼女たちが過ごした北海道での6日間の記憶とともに、各地で出会うゲストライダーとのセッション、北海道の魅力、そして今もなお彼女たちを虜にするスノーボーディングの魅力を、上田ユキエが自ら書いたストーリーで5回連載に渡ってお届けする。
Text: Yukie Ueda
Specal Thanks: 富良野スキー場
VOL.5 富良野続編&旅の終わり~
旅の最終日
ヨガから始まる朝
お互い自分の体をよく知っている。怪我と向き合ってきた真里の体のコントロールは昔から私にいい影響を与えてくれている。10年前に行ったニュージーランドでもこうしてふたりでヨガしていたっけ。
この連載が思っていたより自分の心に響いてくる。旅への思いが記憶のあちこちに刻まれていたが、まだ振り返るには内容が濃く月日が浅く、この連載を書きながらやっと振り返っている自分がいる。最終章は少し切なく、そして達成感でいっぱいだ。
富良野はまるで旅の終盤を盛り上げてくれるかのように清々しく晴れていた。私はこの日の夜の便でアメリカに飛ぶことになる。フライトギリギリまで滑れること、それは少しドキドキするけれど最高の贅沢のように感じていた。最終日だからといって気持ちは焦らずむしろ落ち着き、私は怪我をしないよういつも以上に配慮していた。それとは裏腹に、隣には気合の入った真里がいた。笑
前日の富良野岳で時間に押され、彼女が何となく悔しい思いのまま眠りについたことを私は知っていた。今日は精一杯、真里と一緒にこの雪山で過ごそうと私は決めていた。彼女と一緒じゃなきゃこの旅は成立しなかった。だから最後は特にふたりのこの時間を大切にしたいと思っていた。
富良野スキー場のゴンドラとリフトを乗り継ぎ山の上へ行くと、素晴らしい景色が広がった。たぶんこの北海道の旅で一番清々しく美しい景色だった。これを見るためだけにでも、この地に来て良かったと思えるほどの景色だった。しかしそれはきっと、この素敵な5日間を過ごしてきたからこそ、心に染み渡る景色となったのかもしれない。
まずは少しハイクアップしてボトムに広がる壮大な景色に飛び込むような斜面を滑った。さほど深くはなかったが、富良野の雪はやはりきめ細かく軽かった。
その後トップからボトムまでを一気に滑り降りれるサイドカントリーに入った。少し開けたところに立つと、上からボトムまで滑っていく全貌が見渡せた。この北海道という地の壮大さ、富良野スキー場の美しさを感じた。私は今、凄い場所に立っている。だけどここは日本なのだ。わが故郷であり、何度も来ている北海道なのだ。
こんなに素晴らしい雪と山のあるこの国を誇りに思う自分がいた
知って良かった、見れて良かった、この体で感じられて良かった、そう思った。真里は急斜面から一体どのくらいの距離があるのか検討のつかないほどはるか遠くに見える下界へ飛び込みながらパウダーに当て込んだ。自分の滑りを残すことはもちろん、こうして一緒に滑る仲間の滑りを生で見られる感動も撮影の醍醐味のひとつだ。最終日、気合いの入った彼女の滑りは、私の知る”水上真里”の滑りだった。
私たちは内容の濃い1本を、山の一番上からボトムまで大切に使いながら滑り降りた。富良野のパウダーは最後まで私たちを包み込んでくれた。この気持ち良さはスノーボードを履いていなければ感じられない。滑り続けてきたこと、今もスノーボーダーであることに喜びを感じた瞬間だった。
笑顔で滑り終えた。怪我もなかった。飛行機の時間にも間に合いそうだ。ボードを外し、ホッとしながら真里と目を合わせた。ここ数日毎日言い合っていた「おつかれ〜」を言ったか言わなかったか、もう言葉はいらなかった。この数日の大切なパートナーだった真里とハグした。それは女スノーボーダー同士の、感情の籠った強いハグだった。
人生の先輩がいてくれて本当に良かったって思えたトリップだった by 水上真里
「22年前からは想像つかなかった今回のトリップ。雪は極上で軽くて少し身体を捻るだけで自分の背丈程のパウダーが上がった。斜面の全てがノートラックパウダーほどわたしを野生的にさせるものはなかった。
そして今回、何よりもユキエちゃんが旅のお供にわたしを選んでくれたのが嬉しかった。わたしが18歳でスノーボードを始めたばかりの頃、22歳の上田ユキエに出会った。同じグーフィーということもあり、彼女を超えればプロになれる、超えてやるって目標がずっとあった。でも今回のトリップでこの人は超えれないかもと思った。超えるより背中を見てたいって。
今でこそガールズ達が活躍できる時代がきたが、昔はガールズ達がメディアに出れるチャンスが少なかった。その中心にいた彼女が、日本のガールズシーンを引っ張りあげたのは紛れもない事実。その後結婚してLAに移住し1児の母となり、キッズスノーボーダーのための活動をしながら、自分もプロライダーとしてトリップの企画、映像編集をして記事まで書く。
可愛いからってチヤホヤされてなんの苦労もなく業界にいるわけではないことがこのトリップでよくわかった。彼女ほどの努力家はそうはいない。トリップ中は朝早く起きてヨガをし、テレビ電話で子供と話して褒めてあげ、家族に感謝の言葉を伝える。思い切り滑った後、編集作業で映像をパソコンに取り込む。そんな姿を見ていて、「わたしもママになってもプロスノーボーダーでいたいなぁ」と呟いたら、「真里なら絶対なれるよー!」と笑いながら簡単に答えてくれた。
22年前の超えてやると思っていたあの頃とは真逆で、今は上田ユキエの背中を見て、わたしなりにアレンジして自分だけのスノーボードライフを作っていきたいと思えるようになっていた」
旅の終わりが近く
ふたりは千歳空港へ
車を停めたゲレンデの駐車場ではスノーボーダーの技を発揮した生早着替えをメイクするだけでなく、私はアメリカへ帰るためのパッキングもした。滑ってからそのまま飛行機で日本を発つだなんて、なんて最高なんだろう。
私たちはそれまでの5日間と同じように、車に乗り込んだ。いつもと違うのは、次の目的地が雪山でなく千歳空港だということだった。帰りの道中には温泉へ寄ってめずらしい鹿肉も食べた。柔らかくて美味しくてたまらなかった。
いつものように車中で笑い転げながら行くかと思っていたが、最後に撮ったこの日の映像を助手席で交互にまとめた。やるべきことは、やらないといけないのだ。この時はいつもと逆で私の方がずっと運転していた。助手席で作業する真里と話をしながら、しばらくこの余韻を引きずりそうだなと感じていた。まだ振り返るには早くて深すぎた。こんな感情を抱くとは正直思っていなかった。
私たちは22年間スノーボーダーで居続けてきた。そこから完全に離れてしまうことはなかった。この先はどうなるかなんて、お手本もないし見えていないけれど、諦めずに続けてきたことは私たちの誇りになっている。大人になり気づけば、スノーボードは私に今まで以上のものを与えてくれていた。それは20代でも30代でももらえなかったこと。今だから知ることのできるご褒美のようにも思える。だからきっと、この先も…そんな風に思える。
仲間との関係も。
スノーボード続けている同士だから感じ合えるものが、ここに確かにあった。
まだまだやれる。
未来への勇気と希望を持てる旅になった。
おわり。
女ふたり旅 〜富良野続編&旅の終わり MOVIE〜
VOL.1 ~旭岳編~はこちら
VOL.2 ~層雲峡温泉&黒岳編~はこちら
VOL.3 ~名寄編~はこちら
VOL.4 ~富良野岳編~はこちら
★PROFILE
上田ユキエ
1973年1月22日生まれ。カナダウィスラーでスノーボードを始め23年、ハーフパイプやビッグエアーなどの競技を経てバックカントリーの魅力にはまる。現在はアメリカに移住し5歳の息子を育てながら自らのプロ活動を続ける傍ら、キッズと母親のプロジェクト(LILKIDS&MAMA)や日本の若手をアメリカで経験させるキャンプ(CALI LIFE CAMP)などを運営している。
SPONSOR: K2 SNOWBOARDING, Billabong, MORISPO SPAZIO, NEFF, RONIN, ZOOT, CORAZON SHIBUYA, LALALATV
水上真里
1976年7月17日生まれ。高校の交換留学生として行ったNEW ZEALANDでスノーボードと出会う。パイプ、ストリートレール、スロープスタイルを経て、現在はバックカントリーを中心に滑る。怪我で数年間滑れなくなったことをきっかけに都内や雪山でスノーボーダー達が楽しめるパーティー(PARTY BUNNYS)やイベント(SHREDDING GIRLS)を開催している。
SPONSOR: GNU, NORTHWAVE, DRAKE, WESTBEACH, SPY, BLACKDIAMOND, SBN FREERUN, SHREDDING GIRLS, PARTY BUNNYSイベント, 赤羽ファースト歯科