Vol.01|P.1P.2|Vol.02|P.1P.2|Vol.03|P.1P.2 SPECIAL THANKS : 241

2007年9月20日、都内の一室で、スノーボード界のレジェンドの一人でありブランド“241”の創設者でもあるMike Basich(マイク・バシッチ)と話をすることができた。1985年スノーボードに出会って1991年プロになり、以来彼は進化し続けている。マイクは黒いヘアバンドを着けて現れた。着ていた黒いTシャツのデザインは、言葉ではなく色のついた3つの正方形が「黄+青=緑」とプリントされていた。自分で作ったのかと尋ねると彼は、「そうだよ、意味わかる?」と答えた。この人がスノーボードという短い歴史の中で、最高と最悪の時を経験し、彼独自のスタイルで功績を残し続け、語り継いで来た男だ。今現在のマイク・バシッチから何を学び取ることが出来るだろうか。

Interviewer / English text : Neil Hartmann / Japanese text : TAK

for English



小さい頃から木工用のアトリエをもっていたんだ。大体この部屋の二倍くらいの大きさだったかな。(私達がいた部屋は6畳ほど) 若いときは木工に没頭して、5歳のときにもう最初の作業台を持ってたね。ずっと創り続けてきたよ。
高校最後の二年間で絵をたくさん描くようになってシルクスクリーンを学んで、自分の絵をTシャツにプリントするようになった。スノーボーダーとして服のスポンサーがつき始めたのもその頃かな。
そんなときに自分で他の誰かのものをサイドワークとして作っていこうって思いついたんだ。今までの趣味的な製作も活かせるしね。このアイデアが今まで続いている感じかな。何かが他人のニーズに合っているならそれを提供しようっていうだけで、最初は大きくするつもりはなかったから。今もベルト作ったりシルクスクリーンをしたり自分で創造することに情熱を持っているよ。ウエアを縫ったりする能力はないけど・・・デザインをするのが好きだからね。
その後、ハーフパイプをハイクアップするときにつらい思いをしなくてすむようなウエアを作ることにフォーカスしはじめたんだ。汗だくのコットンじゃ楽しくないじゃん!
スノーボードに出会ってからざっと15年間、やってきたことはコレくらいかな。試合では足が凍りそうに冷たかったり、汗でびしょぬれになったりした思い出がたくさんあるよ。今は技術の進歩でずいぶん変わったけど、僕はこの進歩のプロセスを自分の会社で楽しんでやって来られた。寒いときも過ごしやすいウエアを作ることができたのは幸運にもゴールドウィンと一緒に働けたからだね。


Tシャツのデザインは名無しで始まったんだ。同じ年の夏に、母と姉と一緒になんて名前にするか考ててね、スーパーとかでよく見かける「二枚のピザを一枚分の値段で」って言うフレーズからと、全部数字にしたのは国際的で全ての人に共通だからっていう、2つの理由から241って決まったよ。それから実際に自分のトラックでTシャツ二枚を一枚分の値段で売ったし、次の年にはリバーシブルのパンツを作った。一本買って裏返せば全く別のパンツになるからね。だからそれがブランドのコンセプトだった。

 
1991年にプロになったよ。同じ年に241が初めて日本で紹介されたよ。カリフォルニア州のジューンマウンテンでワールドカップ出場権をかけた試合に参加して、上位16名が日本で開催される次の試合の出場権を獲得できるっていう状況で、僕は16位に入った。そうしてスポンサーがNippon Openに僕を送り出してくれたんだ。それが僕とアンディ・ヘーゼルが241の帽子をかぶっていたときだよ。友達のために10個くらいしか作ってなかったのに、帰国して1週間たったら、200個の帽子と100枚のTシャツのオーダーが入っちゃったんだ。
そのとき持っていたシルクスクリーンの道具はハンドメイドで、凄く使うのが難しかったのに。当時十万円業務用のシルクスクリーンの道具を購入するのに4年もかかったよ。そのあとでやっとTシャツのアートを知ることになったね。


1993年だね。はじめてから二年間はTシャツと帽子、パンツを作っていた。そのときまだウエアのスポンサーがついていたから、二年経って「よしやるぞ!」って決めたんだ。サンフランシスコにいって、工場を貸し切って、ジッパー、ボタン、ベルクロとか全部の材料を買い揃えた。パターンを起こすところからウエアを作り上げたよ。
当時「Backbowl」っていうアウターウエアカンパニーがスポンサーについてて、次シーズンの契約のためのミーティングがあってね、その時そこにいたゴールドウィンの西田トムに初めて会ったんだよ。その一週間後に僕は「Backbowl」をやめて、西田さんに一緒に241を広げてみないかって誘った。




そういうことになるね。そこから万事トントン拍子だったよ。ゴールドウィンが賛同してくれて本当に嬉しかった。もう工場を探して材料をそろえなくてもいいからね!凄く大変だったし、お金は全部使い果たしちゃうし、悪夢だったよ。まぁ、それが一つのきっかけだったし、今の自分があるのもそのおかげだけどね。
掲載されています写真、記事等の無断転載・複写を固く禁じます。

Special Thanks
NAOMI / Mr. / ATSU / 3rd eYe's DESIGN